「ほめない、叱らない教育」そんな教育が巷で流行しはじめて、昨今家庭や学校での当たり前になっています。
- ほめると人は成長する。
- ほめる教育こそ最大の目指すところである。
- 叱らずほめるは当たり前だ。
また、書店に行くと教育書コーナーにたくさんの「ほめる教育」が出版されているのを見かけます。
しかし、これには大きな落とし穴があります。
【ロボットのような人間】を育ててしまう可能性があると言われれば驚きませんか?
今回は、「ほめる教育の危険さ」「叱ることが本当に良くないのか」など、昨今の教育について見ていきたいと思います。
パパ、ママ、学校の先生、部下を持つ方などに是非見ていただきたいと思います。
1.「ほめる」は間違い
結論から言うと、ほめることは大きな危険をはらんでいます。
それは、ほめられなければ「やらない人」になるということです。
ほめることにもいくつか種類があります。
例えばご褒美。
学校の先生が頑張った子どもにシールをあげたとしましょう。子どもはとても喜び、次も頑張って勉強する姿がよく見られます。でも、これは何を目的に勉強しているのでしょうか?
もちろん、シール欲しさです。
1年後別の先生が担任になったとします。その先生はシールをあげるということをしませんでした。
その子どもはどうなるのでしょうか?
「シールをもらえないならやらなくてもいいや」
そう感じる子どもは少なくないと思います。第一、大人も同じです。【A】を頑張ったらプラスでお金がもらえるとして、それがあまり気が進まない仕事だったらどうでしょう。
そして、ある日突然
「特別手当の支給を中止します。しかし引き続き【A】を行いましょう。」
仕事ですから、ある程度はこなします。でもやる気は確実になくなります。
これらの例でわかるのは、ご褒美はエサと同じような感じだと言わざるを得ないことです。
「何かをあげるだけがほめるではない」とおっしゃる方もいます。その通りです。
では、「よく頑張ったね」などの言葉でほめる教育はどうでしょう?
これも原理は変わりません。子どもは「よく頑張ったね」と言われることが嬉しくて勉強しますが、これを突然言わなくなればどうでしょうか?
「もっとほめてよ!」と感じるのは人間の心理ですよね。
次第に、ほめてもらえないならやる意味はないと感じてくるはずです。
これは、言葉がエサになっているわけです。
冒頭で「ロボット」と述べましたが、ロボットは指示がなければ動きません。
もしエサを与え続けると、エサがなければやらない人間になってしまいます。人間は創造するから人間なのであって、そうでないならロボットと同じようなものです。
AIが誕生してから、AIが人間に取ってかわることが危惧されていますが、まさにそうなってしまいかねません。
「ほめる」が危険なのはなんとなく理解できましたでしょうか?
2.「ほめる」に代わる教育
「じゃあどうすればいいの!」と聞こえてきそうですが、一言で言うと「認める」ことをします。
「認める」とは、相手の気持ちになって「それで良い」と価値を共有する行為です。
また「ほめる」は上から下の立場へ、誘導すること。
「認める」はフラットな関係で「いいんじゃないかな?」と確認することです。
最大のポイントは、上下関係と、横の関係にあります。
「認める」ことを具体的に言うと、「感謝」「共感」「提案」などがあります。
先ほどの例で、シールや言葉に代えするとすれば、
- 「あなたが勉強して賢くなれば私も嬉しいわ」
- 「勉強するって、とても良いことだと思う!一緒に頑張ろう!」
- 「なかなか頑張っているね、こんな方法もあるけどどう??」
などに代わります。
3.見分け方
「ほめる」と「認める」は、ほとんど同じだと思うかもしれません。
私は見分け方として、【先輩に同じ言葉を言えるか】が基準になると思います。
「よく頑張ったね」は、失礼で先輩には言えませんが、「仕事に対する姿勢、尊敬します」は確実に言えます。
子どもに「尊敬」などの言葉を言う必要はありませんが、要は【認める対象を子ども扱いせず、横の関係として接すること】が大切だということです。
子どもも大人も年齢で価値が変動するものではありません。命はすべからく等しいからです。
4.「ほめる」は「認める」を含む
巷で出版されている書籍には「ほめちぎれ!」なんて書かれています。
教育でも、実際にほめられて立派に育った人もたくさんいます。では、本当に「ほめる」はいけないのでしょうか。
ひとつ気を付けなければいけないのは、「ほめる」という言葉は、広い意味を持つということです。
例えば、「あなたのおかげで元気が出た!ありがとう!」これは認める行為ですが、
大人が子どもに言うと、端から見れば言葉がけとして「ほめている」と解釈されることがあります。
これが難しいところで、「ほめる」という言葉の中には「認める」という意味で用いられることがたくさんあるのです。
「努力がとても伝わります」
これは、場合によっては上司にも言えます。でも言い直せば「頑張っているね」です。
言葉のあやかもしれませんが、ほめているようにも見えます。
書店に置いてある書籍がすべて間違っているわけではありませんが、著者が「ほめる」と言う意味でほめると書いているのか、「認める」という意味でほめると書いているのか、見分けながら読み進めることが大事になってきます。
5.「叱る」はよくないのか
叱る教育はどうでしょう?
「先生に叱ってもらえたおかげで成長できました!」なんて聞くと、叱ることも悪くないと思いませんか?
中には、叱ると怒るは違いがあり、「叱るは相手のことを思っている」「怒るは感情のままに言う」という方もいます。
結論からいくと、「叱る」教育はよくありません。
まず「叱る」と「怒る」の違いから見ていきましょう。
正直に言うと、これらに違いはほとんどありません。なぜなら、叱る場合にも感情が含まれているからです。
「違う、これはその人のことを思って!」
だとすれば、まったく同じ内容、言葉、態度、様子で、愛する人にも伝えてみてください。
感情がいかに邪魔をしているかがわかるはずです。
では、叱ることの何がいけないのでしょうか。それは、エサを与えていることになるからです。
確かに、一時的に相手の行動が変わるでしょう。でもその後はどうでしょうか。
叱られなければやらない「ロボット」になってしまいます。
ほめると同じ原理ですね。
6.すべて「叱る」なのか
先述の「先生に叱ってもらえたおかげで成長できました!」はどうなるのでしょうか?
これは、「叱る」を定義すると見えてきます。
この場合で言う「叱る」とは、【相手に上から言う行為であり、自尊心を傷つけるもの】です。
よって、同じ言葉がけでも受けとる相手によって叱られたかどうかがかわるということです。
例えばAさんに「そのままでいいの?もっと努力すべきじゃないかな?」と言うと
「確かにそうですね、ありがとうございます!」
と返ってきました。
一方Bさんにも同じ言葉をかけると、「努力していますよ?放っておいてください。」と返ってきました。
この場合、Aさんは叱られていないけど、Bさんは叱られたことになります。
「叱る」の代わりに、「適切にアドバイス(注意)する」ことが必要だということです。
7.気持ちが一番
「ほめる」「認める」「叱る」は曖昧な言葉の定義のまま世の中で使われていることがわかってきました。
ここで、言葉の曖昧さを批判するだけに留まってはいけません。大事なのは、言われる相手の気持ちが一番だということです。
伝えようとするこちらは、その人のためを想って伝えているわけですから、その気持ちに間違いはありません。もちろん正しいわけです。
ただ、受け取る相手が結果的に「ほめられた」「叱られた」ことになるから良くないのです。
そのためには相手との関係づくりが急務だということが見えてきます。どんな厳しい言葉でも、信頼し合える関係であればプラスとして受け取ってくれるに違いありません。
誰かの為を想う我々は、まず相手との信頼をベースに歩んでいく他ないのです。
伝える前に、今一度自分との関係を振り返ってみてはいかがでしょうか。
8.まとめ
昨今の教育(大人の教育も)では、ほめて育てる、叱って育てる、「アメとムチ」、「ほめちぎる」など、あらゆる方法が話題になります。
しかし、How to だけ見ていては間違ったことをしてしまいます。
言葉の定義に惑わされないためにも、一度真理となる理論を知ってから実践していただきたいと思います。
世の中には素敵な「ほめる」「叱る」があります。でも、それは厳密に言うと「認める」「アドバイスする」です。
大変難しく感じますが、とにかく相手の気持ちを一番に考えながら接していくのが良いと思います。