世の中の善悪について考える——スピノザの『エチカ』を基に
仕事や家庭内で、「この行動って正しいの?」と悩むことはありませんか??
こういったことは、よく後になって「ああすればよかった」と思ってしまうことも多いはず。
今回は、正しい行動=「善」について、考えていきます。
1. 善と悪は絶対的なものではない
私たちは日常生活の中で「これは善だ」「あれは悪だ」と判断することがよくあります。
しかし、それらは本当に絶対的な(=決まりきった)ものなのでしょうか?
ここで、スピノザの『エチカ』を参考にしてみます。
彼は、この著書の中で、善悪とは相対的なものであり、それ自体に本質的な価値があるわけではないと述べています。
つまり、「必ず善である」や、「いつどこでどんなものであろうと悪」といったことはないということです。
では、何をもって善や悪を決めるのでしょうか?
それが、スピノザが提唱した「コナトゥス(自己保存の力)」という概念です。
▼スピノザのエチカが気になる方は是非一度読んでみることをお勧めいたします。
2. コナトゥスとは何か?
コナトゥスとは、「すべてのものが自己を維持し、発展しようとする力」のことです。
例えば、植物は太陽の光を求めて伸び、動物は生きるために食べ物を探します。
人間もまた、自分の存在を維持し、よりよく生きようとします。
この「よりよく生きる」ことこそが、スピノザの言う善の本質です。
スピノザは、コナトゥスが増大するものを「善」、コナトゥスが減少するものを「悪」と定義しました。
つまり、私たちの生命力や活動の充実を促すものは善であり、それを妨げるものは悪なのです。
3. 善悪をスピノザ的に考える——具体例
ここで、スピノザの考え方を日常の例に当てはめてみましょう。
ケース1: 仕事の選択
ある人が転職を考えています。
今の仕事は安定していますが、自分の成長を感じられず、やりがいもありません。
一方で、新しい仕事は自分の能力を伸ばせる可能性がありますが、収入が不安定になるリスクもあります。
スピノザ的に考えれば、「コナトゥスを増大させるかどうか」が判断基準になります。
もし新しい仕事がその人の能力を高め、精神的な充実をもたらすのであれば、それは「善」だと言えます。
しかし、新しい仕事がストレスを増大させ、自己の力を削ぐものであれば「悪」となるでしょう。
ケース2: 友人への忠告
あなたの親しい友人が、不健康な生活を続けています。
毎晩深夜まで飲酒し、運動もせず、仕事のパフォーマンスも落ちています。
あなたはそれを見かねて「少し生活習慣を改善したほうがいい」と忠告しようか悩んでいます。
スピノザ的に考えると、友人のコナトゥスを増大させるような忠告であれば、それは「善」となります。
しかし、友人があなたの忠告を押し付けと感じて関係が悪化し、逆にストレスを増すようなら「悪」になるかもしれません。大切なのは、相手のコナトゥスを増やすような方法を選ぶことです。
ケース3: 競争と嫉妬
あなたの同僚が昇進しました。一方であなたはまだ評価されず、不公平だと感じています。
嫉妬心が芽生え、「どうせ上司に取り入っただけだ」と悪く考えてしまいます。
しかし、ここでスピノザの考え方を当てはめてみましょう。
嫉妬は、自分のコナトゥスを減少させる感情です。
それに囚われると、あなたのエネルギーは無駄に浪費され、成長の機会を逃してしまいます。
一方で、同僚の成功を見て「自分も努力しよう」と奮起するなら、それはコナトゥスを増大させる要因となります。
つまり、競争が建設的なものになれば「善」ですが、嫉妬や憎しみにつながるなら「悪」になるのです。
4. ソクラテスのパラドクス
ソクラテスは「誰一人として悪を欲するものはいない」と言いました。
これは、一見するとスピノザの考えとは矛盾するように思えますが、実は深く関連しています。
ソクラテスの考えでは、人は無知によって悪を行ってしまうのだとされています。
つまり、「悪を行う人は、それが悪であると知らないだけだ」ということです。
少し言い方を変えると、その行動が今その人にとっての最大の「善」であると言えるということです。
例えば、殺人を犯す人について考えるとわかりやすいかもしれません。
殺人は、社会的に見れば絶対に悪なのですが、当の本人にとっては、殺人が最善の一手なのです。
社会的に罰されることは理解しているでしょう。
それでも、それを凌駕するほど殺人を犯すことに「メリット」があると言えるのではないでしょうか。
もちろん、殺人以外にその「メリット」を享受する方法はあるでしょうし、やり方は他にいくらでもあるはずです。でも、その人は、「知らない」だけなのです。よって、殺人という手段に及んでしまうというわけです。
スピノザの視点から見ても、悪とはコナトゥスを減少させるものです。
しかし、多くの場合、人はそれを意識せずに選択してしまいます。
例えば、短期的な快楽を求めて不健康な生活を送る人は、それが長期的に自分のコナトゥスを減少させると気づいていないのです。
つまり、スピノザとソクラテスは、「人が本当の意味での善を知るならば、誰も悪を選ばない」という点で一致しているのです。
5. 善悪だけではないという視点
世の中には、「善悪だけで判断できないこと」も多くあります。
しかし、だからといって「判断しない」というのは、スピノザ的には適切ではありません。
人間が未来を完全に見通せるわけではない以上、「今の自分にとって最大限の善」を選択することが重要です。
スピノザは、私たちがコナトゥスを増大させる選択を続けることで、よりよい生き方に近づいていくと考えました。
善悪を考えることは、「善悪の区別がつかないから、どちらでもないという回答をしておこう」と考えるよりも大きく物事を前進させることができると思うのです。
6. まとめ
スピノザの『エチカ』を基に善と悪を考えてみると、私たちの日常の判断もまた、コナトゥスの増減によって説明できることがわかります。
①善とはコナトゥスを増大させるもの、悪とはコナトゥスを減少させるもの
②善悪は絶対的なものではなく、状況によって変わる
③ソクラテスの「誰も悪を欲しない」という考えとスピノザの理論は通じる
④迷ったときは、「今の自分にとって最大限の善」を選ぶことが重要
この視点を持つことで、私たちはより良い選択ができるのではないでしょうか。
▼スピノザのエチカが気になる方は是非一度読んでみることをお勧めいたします。