【ウェルビーイング】人は「なぜ勉強するのか」「なぜ生きるのか」

突然ですが、「なぜ勉強するの?」と疑問に思ったことはありませんか?

僕は物心がついたときには疑問に思っていたような気がします。

いや、むしろ今もずっと疑問なわけで、中々的確な答えが言えませんでした。

たまにテレビでもこれに近い疑問が取り上げられたのを見たことがあります。

社会全体が思う疑問というのは大げさでしょうか。

なので、現在学校に通っている方、子育て中の皆さん、そして学校の先生すらも考え続けている問いではないかと思うのです。

今回はそれについて、考えていきたいと思います。

1.「なぜ」は2種類ある

「なぜ?」と聞かれて、「なぜって言われても・・・」となるのが事の顛末。

結構うやむやにしてしまいます。

「な、なんでもや!」と言いたくなるのが大人ですが、子どもは納得しません。僕も子どものときはそうでした。

意味もないのに勉強させるってどうなの?と、大人を疑いたくなるのもなんとなくわかる。

その前に、ちょっとゆっくり考えてみました。

まず、「なぜ?」には2つの意味があります。

A.原因を問うなぜ

「なぜPCが壊れたか」「なぜ花火に火がつかないか」というのが例で、そこには原因があります。

「なぜPCが壊れたか」→部品が故障したから

「なぜ花火に火がつかないか」→風が強いから

となります。

B.目的を問うなぜ

一方、「なぜお金がほしいのか」「なぜ野球選手になりたいのか」と問われれば、そこには目的があることがわかります。

「なぜお金がほしいのか」→新しい服を買うため

「なぜ野球選手になりたいのか」→かっこいい〇〇選手のようになりたいから

これは、「何のため」と言い換えることができます。

このようにAとBの「なぜ」は性質が違うことがわかります。

・・・「なぜ」がゲシュタルト崩壊してきましたね。

2.A原因の「なぜ」から見る答え

では、原因の側面から見て、「なぜ勉強するの」でしょうか。

これは人によって様々です。

・親が勉強しろとうるさいから

・受験があるから

・みんなが勉強しているから

などです。

これはあまり「なぜ勉強するのか」の答えにはならなさそうですね。

これらのことから、外的要因(させられていること)は答えになり得ないことがわかります。

「なぜ勉強するの?」→受験があるから

「受験なんかしなくても大人になれる!」と言いたくなります。

実際、受験が全てではないのは間違いありません。

3.B目的の「なぜ」から見る答え

こちらはどうでしょう。

・いい大学に入りたいから

・モテたいから

・〇〇をしたいから

これは少し答えになりそうです。

「いい大学に入るために勉強するんだよ」「やりたいことをやるために勉強するんだよ」と言われれば答えに少し近づきます。

でも、まだどこか腑に落ちない。

これは目的の大きさの問題だと思うのです。

では、こう聞かれたらどうでしょう?

「なぜいい大学に入る必要があるの?」「なぜやりたいことをやらなければいけないの?」

「モテるために勉強するのよ」は案外なるほどとなってしまいそうで面白いですが、

実際モテるために勉強して名の通った大学に進学した「合格体験記」はありますよね。

しかし、大学に進学したあとその人は何をすればいいのでしょう?

いずれにせよ、もう少し考える必要がありそうです。

4.目的の「なぜ」を突き詰めてみた

なぜいい大学に入るか→立派な仕事につくため→なぜ立派な仕事につくのか→たくさんの人を幸せにするため

なぜやりたいことをやるのか→楽しいから→なぜ楽しいのか→自分が誰かのためになるから(誰かを幸せにするから)

と、結局他人の幸せに行き着くのですがどうでしょうか。

※ちなみに※

なぜ楽しいのか→自分が楽しいから

とも言えますが、自分だけが楽しいことはいずれ飽きてしまいます。「人はいつも他者の存在ありきで生きている」といった理論がありますが、まさにその通りだと思うのです。

実際にはOECD(経済協力開発機構)では、「ウェルビーイング」という概念が提唱されています。

「ウェルビーイング」とは、生徒が幸福で充実した人生を送るために必要な、心理的、認知的、社会的、身体的な働き(functioning)と潜在能力(capabilities)だそうです。

簡単に言うと、教育では「人々が心も体も満たされた状態を目指す」ということです。要するに世界中の人が幸せであればいいのです。

結局のところ、人は幸せを目指します。

幸せになるためには学ばなければいけません。

「なぜ勉強するのか」→【みんなが幸せになるため】

これが全てなんだと思います。

5.「俺たち、家族だろ?」を広げると・・・

ただし、自分だけが幸せでは意味がありません。

例えば、BBQができて幸せだ。

→近くにいる人は煙でとても迷惑している。

これは本当の幸せと呼べるのでしょうか。

他の例で言うと、

自分は警察官として人の役に立てて幸せだ。

→しかし、息子が強盗事件を犯してしまった。

完全に幸せだと思えないですよね?

真に幸せな状態は、みんなが幸せであることが大切だとわかります。

よく映画で「なあ兄弟?」「俺たち家族だろ?」というセリフがありますが、あれを本当に世界中の人たちが思えたら、そしてみんなが家族だと思えたら・・・

と、少し思うわけですが、かなり大きな話ですよね。笑

6.「人はなぜ生きるのか」も解決できるかも

人生の大きな問いのひとつに「人はなぜ生きるのか」というものもあります。

これは本当に様々な哲学者が様々な論点で解き明かしていますよね。

これは先ほどのウェルビーイングを用いると同じ答えになります。

「人はなぜ生きるのか」→【幸せになるため】

では、「なぜ幸せになる必要があるのか」と聞くとこになりますが

あなたは幸せでなくていいのですか?

→もちろん幸せが一番

と、こうなります。

しかし、幸せは人によって違います。

趣味に生きること、仕事を思いっきりすること、家族と過ごすこと、ひとりで過ごすこと、たくさん食べること、などなど。

話は変わりますが、幸せは定義しなければいけないと、どこかで読んだことがあります。

「もっと幸せになれたらなぁ」といつも言う人は、何が幸せかわかっていないから幸せを感じられないらしいです。

ということは、小さなことを「幸せ」と定義すれば日常が最高になるのでは?

と、まあそう簡単にはいきませんね。

でも「幸せになるんだ!」と決心して進むことは大切です。

話が逸れましたが、

「勉強すること」と「生きること」は

もしかすると根本的に繋がっているのかもしれません。

キーワードは「幸せ」です。

7.まとめ

「風が吹けば桶屋が儲かる」のように聞こえたかもしれませんが、「なぜ勉強するのか」を考えていくと「人々を幸せにするため」に行き着きました。それは、自分を含めて「人々」ですので、自分が犠牲になってはいけないのは大前提です。

スケールが大きすぎて実感が湧かないかもしれませんが、勉強は必ずどこかで人のためになっていると信じることからはじめなければいけないのかもしれません。

さあ、勉強するか!

・・・とはまだならないかもしれませんが、こうしてひとつの答えを持っているだけでもこれからの道しるべになるのではないかと思います。

勉強することで幸せを感じる体験を積み重ねることが、これからの人生では必要なのかもしれません。