みなさんは子どもの頃、「なぜ勉強するのか」と一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
また、周りの大人に「なぜ勉強するの?」と聞いて、時に大人を困らせたこともおありでしょう。
さて、それから時が経ち、大人になったみなさんの中に答えは出ましたでしょうか。
もしかしたら中には、子どもたちに「なぜ」と聞かれる立場になっている方がいらっしゃるかもしれませんね。
- 1.なぜ勉強するのか
- 2.なぜ自分のためじゃないのか
- 3.なぜそんなことを聞くのか
- 4.どう答えたらいいのか
- 5.勉強の楽しさを知るために
- 6.まとめ
今回はなぜ勉強するのか、そもそも子どもはどうしてそんなことを考えているのか、などを考察していきます。
1.なぜ勉強するのか
永遠の問いに挑戦してみましょう。人によって様々かと思いますが、、、
a.いい大学に入るため
b.いい仕事に就くためc.夢を叶えるため
d.将来の選択肢を増やすため
e.人生を豊かにするため
f.やらないよりやるほうが良いから
g.ただ楽しいから
まだまだたくさんありそうです。
しかし、どれもしっくり来ないから永遠の問いなのですね。
もちろん、この中にしっくりくる答えがあるという方が居て当然。
それでも、「なんか違う気がする」と思う人も。
大半の人は納得がいくようないかないような思いで過ごしてきたのではありませんか。
では、答えは何なのでしょう。唯一解、絶対の解がない前提でお話しますが、それは、「人を幸せにするため」ではないでしょうか。
付け加えると、「どんな答えも『人を幸せにするため』に帰結する」というイメージです。
詳しく説明しますね。
まず、「a.いい大学に入る」、「b.いい仕事に就く」、「c.夢を叶えるため」は、それからどうしたいのでしょうか。
いい大学に入った先、いい仕事に就いた先、夢を叶えた先に何があるというのか。
たぶん大体の人が「幸せのため」と答えると思うのです。
お金を媒体に幸せを掴むのか、地位を幸せに感じるのかなど、人によって幸せの形は違います。
でも、幸せになりたいという前提は同じです。
続いてdについて。
「d.将来の選択肢を増や」して、どうなるのでしょうか。
選択肢が広がれば当然多方面から幸せにフォーカスできます。
これがだめならあれでいこうというような感じです。次に進みます。
「e.人生を豊かにする」のは何のためでしょう。これも幸せのためです。
豊かでない時より豊かな方が「良い」と思うからで、この「良い」は幸せと同義で問題ないかと思います。同じく「f.やらないよりやるほうが良い」の「良い」についても、勉強をやったほうが幸せになる可能性が高くなるという意味だと捉えられます。
最後に「g.ただ楽しいから」に関して。
これは勉強自体が幸せを感じられるものになっている例です。
幸せのための手段ではなく、勉強こそが目的になっているという意味ですね。
さて、以上より、勉強は幸せに繋がることが見えてきました。
ところで、人は幸せになるためにどうすればいいのでしょう。
幸せと一口に言ってもこれも曖昧ですが、ここにも明確な基準があります。
それは、人は人との関係の中でしか幸せを見いだせないということ。
孤独で幸せはあり得ません。
一人暮らしをして一時的に解放感と幸せが結び付くことがあるでしょうが、そうではなく孤独とはもっと深いものです。何もない部屋にポツンと自分一人で居る時間が一生続くような感覚でしょうか。
つまり、人と繋がること(孤独でないこと)が幸せのための絶対条件だと推察できます。
では、はじめのa~eで考察した「幸せになるため」では、人と繋がることが必須であることがわかります。特に強固で前向きな人との繋がりを生むためには、能動的に人を幸せにしていく他ないのです。
付け加えると、自分が人を幸せにしようとするから、自分も人との繋がりの中で幸せを得られるということです(ここに少し論の飛躍がありますが、長い哲学の歴史の中で答えが出ていますので割愛いたします)。
以上より、人を幸せにすることで自分も幸せになることができ、勉強は人のためにすることがわかります。
◆人付き合いに悩まれている方には、この記事もオススメです。
2.なぜ自分のためじゃないのか
ここまで読んでいただいた方は、「え、自分のためじゃないの?」とお思いになったかもしれませんので少しだけ触れておきます。
自分のために勉強すると他者の顔が浮かばなくなります。
そうすると「自分がよければいい」というエゴイズムに陥ってしまうのです。
他者の幸福のために「自分にとって足りないものを得る」という手段としての「自分のための勉強」は必要でしょう。しかし、自分しか頭にない状態になると意味が変わってくるのです。
最後は人のためというスタンスが大切だと思います。
3.なぜそんなことを聞くのか
子どもはどうして「なぜ勉強するの?」と問うのでしょう。
クラスの中でいつも勉強が得意で優秀な子をイメージしてください。
その子は「なぜ勉強するの?」と聞きますか?
いえ、たぶん黙々と勉強して、「あいつは別世界だから」とみんなから一目置かれる存在だと思います。
実は、本当に勉強に集中している人(大人も含めて)は、「なぜ」とは聞きません。
なぜなら、その人の中で目的がはっきりしているし、その楽しさを体感しているからです。
逆説的に考えて、「なぜ勉強するの?」と聞く子は真に勉強の楽しさを理解できていない(勉強を楽しくない、意味のないものだと考えている)のだと推測できます。
すなわち、「なぜ」の裏側には「楽しくない、わからない」というメッセージが隠されていることになります。
4.どう答えたらいいのか
そんな子どもに、あなたならどう答えますか?
先のように「人のためだよ」と言ってもたぶんわかってもらえないはずです。
なぜなら、その子は本当に「なぜ」と問いたいわけではなく、「勉強が嫌になってきた」と言っているだけだからです。
それでも「人のためだよ」と言うことは間違いではないはず。
子どもはそれを受けて、一生をかけて「人のため」という言葉の真意を探す旅に出ることができると思うのです。
そして、その子が「なぜ」と問わなくなったとき、勉強の本当の意味と楽しさが理解できるのだと思います。
ちなみに、「幸せのためだよ」という答えは、先に見たようにエゴイズムに陥る可能性があるため、本来の意味を伝えきれていません。
また、誤解を招く恐れもあります。よって、表現として避けてもいいのかなと思います。細かいですが。さらに、先に見たa~eの答えが間違いという訳でもありません。
子どもによって響く言葉は多種多様です。
スモールステップとして「選択肢を増やすため」や「人生が豊かになる」というのも必要なのかもしれませんね。
5.勉強の楽しさを知るために
子どもが勉強の楽しさを知るためには、教育の力が必要です。
教育の有無、良し悪しで人々の人生は大きく変わることは論を待ちません。
では、大人はどうすればいいのか。
ここからはより教育の世界に踏み入れるので、専門家に任せたいところですが、私なりに思うことを述べておきます。
まずは大人が子どもを縛らないことだと思うのです。
例えば、「宿題をしなさい!」と言う前に、宿題をしないことによる損失を体験させてみる。
「その飲み物が床にこぼれるから、コップを机の真ん中に置きなさい!」と言う前にこぼして失敗する場を保証してあげる。
「そんな言い方すると友達と喧嘩するよ」と言う前に喧嘩させて、負の感情を経験的に知れるようにする。
このように、小さなことはできる限り本人の失敗の場を保証してあげると良いのではないでしょうか(もちろん、命に関わること、取り返しのつかないことは放っては置きませんが)。
また、そうして自己決定の場を多く作ってあげるほどに自ら学ぶ子に育ちますし、勉強の楽しさや意義深さを徐々に体得していくことでしょう。
やはり、大人は一通り経験していますから、未来をある程度予測できます。
しかし子どもは毎日何かしら人生初の新たな発見があるものです。
学校や塾での勉強なんて、「初めて」そのものですね。
経験主義を推奨しているわけではありません。
ただ、学べる場を確保することが大人のできることなのではないかと思うのです。
◆下記記事も参考にしてみてください。
6.まとめ
永遠の問いは手強いですね。本稿で「なるほど」と思っていただけると幸いですが、如何せん感覚的で概念的な答えにならざるを得ないゆえ、理解しがたいかもしれません。
しかも、しれっと使い分けましたが「勉強」と「学び」は似て非なるものかと思います。勉強を包括するものが学びというイメージですがみなさんはどうですか?
総括すると、勉強をするのは幸せのためであり、幸せになるためには人のためにならなければならない。よって、勉強は人のためである。
そんな三段論法でした。
また、「なぜ勉強するの?」と聞く子は、「勉強したくない」の裏返しで、本当に勉強している子は「なぜ勉強するの?」とは聞かないし、そう聞いてこなくなった時点で勉強する喜び(広義で)を得ることができる。
となります。
みなさんは「なぜ勉強するの?」に、どう立ち向かいますか?