「この人、できもしないことを語って、何の意味があるの?」
「目標をしっかり持ってるのはいいことだけど、それって達成できるはずがないよね?」
「理想ばっかり言うけどさ、ここって現実だよね?」
上司が、理想論を語る人で困っていたり、
パートナーが、できもしないことを言っていたり、、、
あなたの周りにこんなことを言う人はいませんか?
どうすればうまくやっていけるのでしょうか?
結論から言うと、その人たちは果てしなく美学を求めていると考えるといいのかもしれません。
では、その「美学」とはいったい?
是非一緒に見ていきたいと思います。
1.目標の種類
目標を持つのはとてもいいことなのは、なんとなくわかります。無いよりあった方がいい。
でも、目標なんかなくても立派な人っていませんか?
例えば「なぜか気付けばこんなところまできていたよ」「当時はがむしゃらで、先のことなんか考えていなかった」と言いつつも、大きな功績を残している人。
聞けば聞くほどかっこよく感じてしまいます。
しかし、その人たちは必ず目標を持っています。
まず、目標とは何なのかを見ていきましょう。
大きく分けて、目標には
分かりやすいもの
分かりにくいもの
の2つがあります。
A.分かりやすいもの
「年収を1000万円以上にする」
「昇進して社長になる」
「東京大学に合格する」
などです。
とても具体的で、達成したかどうか一目でわかります。これが世の中では求められることが多いでしょう。なぜかというと、誰もが評価しやすく、目に見えるものだからです。
B.分かりにくいもの
「人々を幸せにする」
「会社を大きくする」
「経済の分野についてたくさん勉強する」
などです。
抽象的というより、明確な指標がないのが特徴です。どこまでいけば「幸せ」にしたのか。どこまでが「大きい」なのか。どこまでが「たくさん」なのか。
客観的に見てわかりにくいものです。
2.それは目標ではなく目的
ところで、目標と目的の違いってご存知ですか?
富士山をイメージしてください。
簡単に言うと、
山頂が目的
その途中(何合目)が目標です。
目的はひとつしかありませんが、目標はいくつもあることになります。
そして、ここに大きなポイントがあります。
先ほどの
A.分かりやすいもの
B.分かりにくいもの
実は、Bは【目標】ではなく【目的】です。
ですから、
「なぜか気付けばこんなところまできていたよ」「当時はがむしゃらで、先のことなんか考えていなかった」
と、言う人は目標はなくても【目的】を持っていたのかもしれません。
言語化できていない目的もあるので、そもそもほとんどの人が【目的】を持っているかと思われます。
目的があってこその目標だと考えると、目的だけでも必ず持っておく(できれば言語化する)のがいいのではないでしょうか?
3.理想は語れるだけ語れ
では、どんな目的を持てばいいのでしょう?
そもそもどんなものが目的になるのでしょう?
大方予想がつきそうなもので、目的になりうる条件は、
- わかりにくいもの(明確な指標がない)
- その先がないもの
- 自分を成長させるもの
であれば良いのだと思います。
もちろん他に条件はあるはずですが、「大方」です。
そうすると、必然的に「達成できるのか?」と疑いたくなるものになってきます。
4.大事なのはアプローチ
先述の
- A.「人々を幸せにする」
- B.「会社を大きくする」
- C.「経済の分野についてたくさん勉強する」
を目的と目標に分けていきましょう。
Aは目的です。すべての条件を満たしています。
Bは、会社を大きくした先にまだ目的を作れそうなので、目標と捉えることもできます。もしそれが自分を成長させるものでなければ、一気に目的にはなり得ません。
Cも、勉強した先がありそうなので目標です。
以上のことから、目標を突き詰めると目的になり、目的は理想論っぽくなることがわかります。
よって、人間持つべきは理想。しかし、スモールステップ(目標)とアプローチを忘れずに、となります。
5.たどり着かないことこそが美学
「達成できないことを掲げても意味がない」という声が聞こえて来そうですが、実は【達成することが最終ゴールではない】と考えるとどうでしょう?
もちろん、達成するつもりで臨むのですが、達成しなくても十分なのです。
少し矛盾していますでしょうか?
例えば、
どうしようもなく難しい問題に出会った。しかし、解けないながらにその他の力がついた。
みたいなことです。
たどり着かなくても、その過程に十分な成果があるわけですね。
少し美学に寄せた話をすると、
例えば硬筆ペン字では、直線をいかにまっすぐ書くかが大事なポイントですが、定規で文字を書くといっきに美しくなくなります。定規のようにまっすぐ書くことを目指しているのに。
ロボットの顔は、人間の顔に近ければ近いほど違和感を覚える「不気味の谷現象」というものがあります。ロボットが人間を理想として人間に近づくと、皮肉なことに逆効果になるわけです。
しかし、人間に近づく過程でより良いものが生まれてきたのは間違いありません。
スポーツ選手は、功績を残せば残すほど「まだまだ足りない」と言います。素人からして十分すぎるほどで、それはもう完璧と言わざるを得ないものでも、本人は謙遜しているように見えます。しかし、それは謙遜というより向上心のほうが色濃いだろうと思います。
どこまでいってもゴールにはたどり着かないわけです。
人類に最も影響を与えるのは教育だと思うのですが、教育基本法の第一条は「人格の完成を目指し」からはじまります。
人格が完成することがないのは、当たり前のことで、そんな人はこの世には存在しません。なのに、目指すのは「人格の完成」です。
決してたどり着かないものを目指す、矛盾をはらんだ美しさを感じてしまうのは私だけでしょうか?
6.行きすぎた美学
ここまでで、理想を追い求めることは決して悪いことではないと見てきました。ではなぜ冒頭で述べたような嫌悪感を持ってしまうのでしょうか?
それは価値観の押し付けが垣間見えるからでしょう。確かに理想を追うのはいいことなのですが、それはあくまで個人の中で留めるから美しいのであって、他人の領域に侵食した時点で美しくなくなります。
これを、行きすぎた美学とでも呼べばわかりやすいでしょうか。
少し「できる」くらいではこうはなりません。それなりに「できる」と思いはじめたときに、承認欲求として表れるのだと考えられます。
そして、達人の域に達したとき承認欲求も消えていくのだと思います。その代わり美しさが見えてきます。
我々は、承認欲求を満たすために努力していないかを絶えず振り返る必要がありそうです。
7.まとめ
理想ばかり語る人とうまく付き合っていくには、まずその「理想を抱くこと」を認めるところからはじまります。
だからといって、その人の言動までを認めるわけにはいきません。
その人はたぶん発展途上なのでしょう。
気を付けなければいけないのは、「理想を抱くこと」を否定してしまうことです。
理想は現実のガソリンとなりうるものであるべきです。今一度、価値観の押し付けになっていないかを振り返りつつ、美学を追及してみてはいかがでしょうか。